朝一の電話で、めっちゃ喜んで嬉しかった
滋賀県大津市で行政書士をしてる中島です。
昨年5月9日から急性骨髄性白血病で入院していた母。
本日、無事に退院することが出来ました!!!!
Facebookをはじめ、ご心配や応援して下さった方々、
本当にありがとうございます!
振り返っていろいろ思うことがあるので、回想も含め
ちょっと長くなりますが、いろいろ書いてみようかと。
その前に、とりあえず、看護師さんたちと記念写真o(^o^)o


それはGW中の5月4日。突然、極度の貧血になった母。
しばらくすると治るだろうと、我慢していた。
が、階段の昇降で動悸がしたり、心臓が苦しくなったり、
歩くと苦しくなるって感じ。。。
母は、驚くほど精神力が強く、しかも普段は体もタフ。
そして、決してマイナスなことを言わない。
そんな母が、かなりしんどいと言うんだから、よっぽど。
その頃は母は職業訓練を受講していて、欠席は御法度。
GW明けの7日には歩くのもやっとの状態だったけど、
僕が送っていき、終わってからの夕方に病院へ。
その日は点滴を打って血液検査。
で、翌8日は自分で運転して職業訓練へ。
そしてその夜、病院から電話。
「白血病ぬ疑いがある」とのこと。
「明朝一番に、入院するつもりで来てください」と。
先日、この時の心境を母から聞きました。
「白血病って聞いたときは、覚悟した」と。
そして、
「けど、意外と冷静だったのと、それよりも
あんたらが大丈夫かな」と。
死を覚悟しつつ、冷静・・・
そして9日朝に病院に行くと、こんな状態なので、
滋賀医大に行ってくださいと。
滋賀医大に行き、急性骨髄性白血病と宣告され、
即入院することになったんですが、病棟が空いてないので、
大津市民病院に行くことに。
その宣告の際、医師から力強く、
「大丈夫です。必ず治ります!」と言われました。
これを聞いた時に母の目から溢れんばかりの涙。
ここから気持ちを切り替え、どんなことも受け入れ、
「頑張って治すぞ〜〜!!」モードに。
その一方で、自分の心配をよそに、
「退院したら、家がひっくり返ってないかなぁ、
ちゃんと飢え死にせず、過ごしているかなぁ」
と。
なんせ、僕はこれまで、炊事・洗濯等の家事なんて
ほとんどやったことがない、ダメダメなわけで。
僕自身も、厄年だったんですが、これは神様が強制的に
与えた親孝行の機会なんだと気持ちを切り替えました。
そうして、市民病院に行ってすぐ、めっちゃ痛い、
男性なら悲鳴を上げる骨髄検査をし、準クリーンルームへ。
看護師さんいわく、
「女性の方が子供を産む経験をしてる女性の方が強い」
と。
それでも、顔ひとつ歪めない母、また、こんな状態で
歩くのもかなり辛いはずなのに気合で歩いていた母に、
主治医や看護師さんらは驚いていました。
すぐに、首からカテーテル。
が、しばらくしてこの首が炎症を起こしてしまい、
呼吸困難になる危険性があるかもということで
急遽ICUへ。
口から太い管を入れられ、5日間眠れない苦しさ。
あとにも先にも、これが一番辛く苦しかったと。
なので、辛いはずの骨髄検査や抗がん剤治療でも、
全然って言うと変だけど、ヘッチャラだったと。
看護師さんらには、かなりの我慢強さと精神力と。
あと当時64歳だけど、その年齢とは思えない体力。
なんせ、発症前まで、毎朝5キロ走ってた。
とにかく看護師さんらの言うことを素直に聞き、
明るくニコニコ振舞っていた母。
そんな姿を見て、看護師さんらは「本当に凄いですね」と。
それに対し母は、
「下向いて暗く過ごすのも一日、明るくニコニコして
上向いているのも一日。同じ一日ならニコニコしてる方が
楽しいでしょ」って。
そんな明るさと前向きさで、いつもニコニコで、愚痴や
不平不満を言わず、看護師さんたちからもすごく慕われ、
逆に看護師さんたちに元気を与えていた母。
このあたりから、看護師さんらがファンになっていきました。
加えて、大好きなキティちゃんを病室に持っていったので、
それも看護師さんらの癒しになってようで。
とは言っても、白血病治療なので抗がん剤を使うので、
当然髪の毛が抜ける・・・
これは、特に女性ならかなりの精神的ダメージ。
今日聞いた話だけど、髪をときながらボロボロと徐々に
抜けていく方が辛いからと、母がとった行動すごい。
なんと、自分でハサミを使ったりして一気に抜いた。
どうせ抜けるのなら惨めに待つより、エイッ!って。
これには看護師さんらもビックリしたそうで。
そんな母に、準クリーンルームから一般病棟に移る際も、
後でわかったんですが、あえて絶景の部屋を用意してくれたそう。
びわ湖を一望でき、花火大会も絶好のロケーション。
そんな中、退屈な入院生活も、何か楽しみを見つけては
超プラス発想で過ごしていました。
夏・秋・冬と変わりゆく景色も楽しみながら。
母曰く、「めちゃめちゃいっぱい本を読んだよ〜〜」って。
お見舞い時に持っていく新聞も、隅から隅まで読みまくり。
テレビばっかり見ては、お金がもったいないので、
持ち込んでいたノートPCでいろいろ調べたり。
夏を迎えた頃には、同じフロアの看護師さん全員が
母のファンになって、院内のアイドルになっていました。
そして、キティ=中島さん、中島さん=キティって感じで。
自由に動いてもいい許可が出ると、できる限り動き、
運動不足になるからと、階段を降りて運動したり。
そうして9月に初めて外泊できた際には、なんと
ナースステーション前で看護師さんらとハイタッチ!
病院ではありえない光景でした。
そういうこともあり、ある女子高生が抗がん剤の必要な
重病で入院してきた際も、若いのに辛いだろうからと、
「中島さんのそばだと勇気づくだろうって思って、
あえてこの病室にしてあげたんです」と。
その子も、母に勇気づけられたそうです。
今日の帰りも、お互い連絡先交換してました。
そんな風に、252日、8ヶ月ちょっと過ごした
長い闘病生活。
僕の中では、それまでの価値観や認識、考えとかが
少し変化してきたと思います。
ひとつは、母への想い。
以前から、人前で絶対に辛い表情をしない、絶対に
マイナス発想しないなどその精神力や忍耐力には
尊敬の念を抱いていました。
それと、見た目も気持ちも若く、愛嬌がある感じ。
プラスして、息子の僕が言うのも変だけど愛しい感じ。
勿論、異性に対する愛しさではなく、また肉親だからといった
それではなく、大事にしたいというか、なんていうか^^;
そんな母に対して、より偉大さを感じつつ、
尊敬、敬愛といった念が深くなっていきました。
40過ぎのオッサンが何言ってんって感じだけど^^;
二つ目は、幸せの価値観。
当たり前に健康に過ごせる、そんな普通が一番幸せだと
明確に思えるようになったんですね。
ただいま〜と言えば、お帰り〜って返ってくる、
そんな当たり前の風景。
お金とかじゃなく、平凡の構築というか、なんていうか。
三つ目が、家族というものの大事さの認識。
先の2つにも言えることですけど、やっぱり家族の絆って
大事だし、すごくかけがえのないものだなぁと。
あと、僕は、母を幸せにするために生まれてきて、
そんな僕を母は生んでくれたのかなと、大げさに言えば
そう思ったり。
なので、結婚に関して相手に求めるのが
・母を大事にしてくれる人
・キティちゃんが嫌いじゃないというか好きな人
って感じになったかなと。
もし、母が亡くなったら、いっぱいあるキティグッズは
形見となるので、それを邪魔扱いされては辛いわけで。
まぁ、こんなこと言ってる時点で、結婚に関しては
より難しくなるんでしょうけど。
仕事を頑張るのも、そういう幸せを得るためかも。
その頑張る仕事を通じて、また僕を通じて、
関わる人が幸せになれば、また巡り巡ってくる。。。
うまく言えないけど、そんな感じ。
そのために、母のように自分がニコニコ笑顔で、
周りを元気にさせる人でありたい。
そんなこんなで、この8ヶ月は僕自身はあっという間で、
いろいろ考えるキッカケにもなりました。
その一方でありがたいことにFacebookをはじめ、多くの方の
温かい応援の声をいただきました。
10日後に経過を見るため受診するものの、
おかげさまで元気で退院ですヾ(@⌒ー⌒@)ノ
院内では厳しいって評判の看護科長からも優しくされ、
以前も母に言ったことですが、改めて最後にこんな要望が。
「是非、講演とかで体験談を話して勇気づけて欲しいです」と。
他の看護師さんたちからも
「中島さんやキティちゃんがいなくなるのは寂しいなぁ」
とか、
「また遊びに来てねって言いたいところだけど」
って言われたり(笑)
なんか、まとまらない書きなぐりみたいになりましたが、
最後にお礼と感謝のメッセージを。
お世話になった病院の方々、本当にありがとうございます!
そして、繰り返しになるけど、ご心配・応援して下さった方々、
本当に感謝です!
僕が言うのもなんですが、白血病とかで闘病されている方々の
少しでも励みになればと思います。
おっと、気づけば、次が記念すべき1,800回目の記事になります^^;
今日も読んで頂きありがとうござます!!
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