日曜日はお見舞いデーだったけど、、、と思ふ
滋賀県大津市の歌って踊れる行政書士の中島です。
昨日の午前11時に無事、火葬が終わりました。
収骨の際に骨壺だけでなく、御守り用にも取りました。
今頃、天国で楽しく笑ってるかなぁ。
そんな母は、僕と弟に手紙を遺していました。
亡くなった日に読んだんですが、次の日も読んだとき、
我慢していた涙と声が止まらなくなりました。
そんな母の手紙は愛情がいっぱいです。
この手紙は亡くなる1週間前の10/24に書かれたもの。
10/26にお見舞いに行った際、病室の引き出しを指して、
「ここに入れてるけど、お母さんが亡くなったら見てね」
と言ってました。
今読む?って聞かれたけど、まだ読まないと答えました。
その手紙がこれです。
日に日に衰弱していき、余命がないことを感じながら、
今ならペンを持てると思い、振り絞って書いた手紙。
先日の特例外泊では、いろいろ最後にやってあげたいと、
しんどい体にムチ打って、精一杯家事をやってました。
台所のカレンダーには、生前も書いていたように、
ゴミの日が12月まで書き込まれている。
今思えば、母も「もう家には帰ってこれない」と
覚悟をしていたようで、最期にいろいろ僕らに
やってあげたいという想いだったと思います。
酸素吸入器を付けながらなので、コンロを使わなくていい
おでんやお好み焼きを作ってくれて、一緒に食べました。
最後の晩餐。
その日々が「最高に幸福でした。」と。
僕宛ての最後の文には
「巧次が滋賀一番、日本一番の行政書士に
なってくれるよう願っています。」と。
ただ、お風呂掃除は30点とダメだしですが(笑)
そして2枚目の最後に、兄弟仲良しを一番願って、
「ずっと巧次、克仁を見守っているからね。」と♪
ずっと見守っているからね・・・
もう、この一文で、涙が止まりませんでした。
昨日弟から聞いた話では、安定的な仕事の弟とは対照的に、
母は不安定な僕を最期までしきりに心配していたと。
手紙以外ではダメだしもあったようで(^_^;)
「最近は丸くなったけど、まだまだ性格がキツイし、
まだまだプライドも高い。その部分を直さな。」
「でも、丸いだけではアカンしなぁ。
それに、一つのことにこう(猪突猛進)なるタイプやし。。。」
その一方で、弟によれば、そんな心配以上に
めっちゃ応援、期待してたでって。
8/16のブログで、母が僕のブログを毎日見ては、
ブログランキングをポチポチしてるっていう内容を書きました。
それについて弟が僕に、
「1個でもランクが上がると大喜びしてやったで」と。
手をパタパタして喜んでいたそうです。
「多くの人が巧次のブログを読んでると思うと嬉しいし、
ドンドン名前が知れてると思うと嬉しいって言ってた」と。
さらに、
「このブログが仕事に繋がったらいいなぁって言ってた」と。
「ちょっと最近忙しいって聞いたら、忙しいってええ事や
って言ってたでぇ。」と。
僕が小学校のころは、若くて綺麗で自慢の母だった。
それからいろいろ苦労を掛け、さらに弟と違い、
いろいろ不安定な職についてやってきて気を揉ませた。
母が結婚したころから苦労の連発。
66年間、あまりにも壮絶な人生だった母。
ここでは書けないけど、それはもう、我慢と忍耐の人生だった。
オヤジが始めた進学塾でも、専務として激務をしたかと思えば、
残った借金を全て母が返済していき・・・。
営業の仕事については、トップの成績を収め、
どんな職場でも、誰よりも責任感をもって取り組み、
社長からも必要とされる仕事ぶり。
そして家事が大好きなので、そんな激務でも怠らない。
どんな時も決して諦めることなく、そしてどんなに苦しくても
ニコニコ笑顔で前向き。
自分の余命がわずかと悟ったのは、9月か10月頭。
そして、手紙を書いた24日以降でも、自分の命より、
僕らの事を最後まで気にかけていました。
命が削られゆく闘病生活で、家族3人が一致団結。
その闘病生活が、一番幸せだったって。。。
そんな母のパソコンを弟と一緒に開いて見てみた。
書いていることは知ってましたが、昨年入院した時からの
日記がワードに記されていました。
昨年のを少し抜粋。
「(平成24年)5月23日からのICUの生活は
私にとってとても辛い試練ではあった。
口に入っているチューブに入った唾液を取ってもらうのも
涙が出るほど苦しいし、声が出せないのも辛い。
巧次や克仁が来てくれても筆談での会話。
こんなに苦しい時は巧次や克仁が来てくれた時は
本当に本当に涙が出るほどうれしかった。」
平成24年6月1日(金)
「今日もまずまずの体調で1日が終わります。
明日もこの調子で頑張るぞ。」
平成24年6月3日(日)
「忙しいのはわかっていても、巧次や克仁が
来てくれると本当にうれしい。」
平成24年6月5日(火)
「食欲もあるのでシャワーの許可が出た。
11時50分シャワーに行く。本当に気持ち良かった(*^_^*)
長い間シャワーにも行っていなかったのでルンルン気分(●^o^●)」
平成24年6月10日(日)
「巧次、克仁が来てくれた。
悪いと思いながらも嬉しいし、元気が出てくる。」
平成24年7月6日(金)
「昨日上野動物園のパンダに赤ちゃんが出来た。おめでとう。
どの看護師さんからも中島さんは我慢強いと言われるけど、
別に我慢しているわけでもないけど〜」
平成24年7月17日(火)
「ヘルパースクールに行ったいたら今日が卒業式、
6人は卒業出来たでしょうね。本当は羨ましいけど
今の私は病気を治すことが一番。頑張ろう、富栄さん!」
(自分で、富栄さんって(笑))
平成24年11月1日(木)
「採血。骨髄検査。キティちゃんの38回目の誕生日。」
平成24年12月31日(月)
「今年も今日で最後になった。なんと病院生活8か月、
1年の4分の3を病室にいた。やっと来年1月20日頃には
退院出来そう。それからが中島家のお正月。」
その他、毎日の病院食、健康状態(数値など)が。
たぶん、天国でも、僕らの行動をチェックしながら
毎日日記をつけてくれるのかなぁって。
そんな「とんちゃん天国日記」に、母が喜ぶ内容を
多く書いてもらえるように、生きていこう♪
しっかりと見守られているのを感じながら・・・
今日も読んで頂きありがとうござます!!
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